子供の部屋について

子供の部屋の始まり

昭和49年9月、0才から学童までを対象として、始まった子供の部屋。
自然の中で自由な環境のもと「仲間同士育ち合う」を目標としての取り組みです。開園の理由、それはまだ20代、今から40年前のこと。保育者となり不自由な子供達を眼のあたりにした所からなのです。
乳児院では、公園に捨てられていた子、障害を持って産まれ、家には連れて帰れないとあずけられた子。
年若くしての出産で育てられず、里子を希望される子。保育園では排尿が成功するまで、オマルやトイレに座らざるをえない子。目覚めても午睡時間だからとベットの中にいなければならない子。衣類のよごれを気にするあまり、土、砂、水での遊びを制限する保育、ケガを気にするあまり外へのつれ出しには条件付きである保育。母子寮では生活苦から子供を愛することをわすれた母の姿、等々。
多くの子供達の姿を見ての始まりです。

品川区大田区で

当初は五反田から始まり続いて大田区中央、西蒲田、田園調布と4ヶ所(S49年~51年で)多摩川の土手、本門寺山の中、蒲田の路地裏と子供たちと共に探検し自由と自然を満喫する中で学校へは足が向かず休みがちだった子が、 友達と走り回り遊ぶ中で心も体もリラックスし通学出来るようになった(8才児)貧困により粉ミルクに頼る(栄養価が高いとの思いから、貧困で多くの食品を買えないとの理由)子育てによりひ弱だった身体が(4才児)バランス良く食事を取ることと外遊びをたっぷりすることにより活々と成長を見せる。 自閉症と診断され表情が乏しく人と目が合わず言葉が少なかった(7才児)子が仲間と川遊び、水遊びをたっぷりする中で人を信じることを学び学校へ戻ることが出来た等々。

何かが違うから大津乳児検診そして斉藤先生との出会い

産休明けの子から学んだこと。何かが違う。授乳力の弱さ。不自然な視線。体の脱力と緊張のアンバランスとこれまでの実践では乗り越える事の出来ない何かを感じる。 そこで小児科の医者との勉強会。
専門のトレーニングセンター(感覚統合)の学びから大津検診の情報が入る。合成洗剤が出回り琵琶湖の水が汚染され妊婦や乳児の発育に問題あり。早期に発見し早期に訓練することで脳の働きも身体の動きも健康になる云々である。 その頃埼玉にあるさくらんぼ保育園を知り斉藤公子先生との出会い、保育大学への参加となる。

「人が人間になるために」のテーマから

斉藤先生、河添先生、井尻先生、林先生から学んだことで子供の部屋の保育が大きく変わる。部屋のジュータンはひの木の床に、テレビ(夕方視聴していた)をハイキし庭の砂場が広くなる。これまでの散歩がお弁当持参で(片道2h位歩く)海辺や山へと広がる4ヶ所にあった保育園も1人1人を大切に見る事から2ヶ所になる。 共に学んだ父母集団も大きく変わり、自分の子供だけでなく仲間が育つことの大切さを知りみんなで育ち合おうとの考えとなって行った。

父母会が作られる 0才から6才が基本となる子育ての大切さ

学校入学から子育てが重要と考えていたが、乳幼児期からの子育てが重要であると重点が変わり、根本的な子育てへの考え方が変わった。
入学してからでは遅い。基本は0才から6才であること。この時期に神経系の8割が発達する。これには大きな衝撃があった。小学校時期には体力が、中学高校時期は筋力が育つと発達の道すじを学ぶことにより親は 何を大切にすべきかから子育てをもっと学びたい、親と保育園が1つになって学び取り組みたいへと父母会の勉強会も活発になって行く。

『コ・オ・ト・ナ』 子供でありながら大人のようであること

団塊の世代に育った私にとって今の時代は便利で豊かになったと感じるが、子供が育つにはあまりにも不自然である。
子供は多くの体験をして学ぶ、失敗をくり返し学ぶ、友達とぶつかり合って人のあたたかさを知る。
こんな、なんでもないようなことが、出来ない環境になっているのはさみしいことである。

40年近くの保育実践の中で子供から学んだこと

土台が育てば自信が付く、その土台とは、
・自然を五感で感じる力
・人との関わりを楽しめる力
・生活リズムから育つ、体力と意欲。
これらは、脳の古い皮質を刺激し活発に働かせる所からの始まりである。
自然を大いに活用し、子供同士触れ合う子育てを皆さんと共に日々積み重ねましょう。
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